レジーのJ-POPクロニクル

92年から始まったリスナー人生、超個人的体験を振り返りながら「日本の音楽シーン」の空気感を表現できれば思っています 

僕とチャゲアスの90年代

前回予告では「初めて買ったCD」についてやるつもりでしたが、予定を変更してこの人たちの話をしたいと思います。

 

ASKAの逮捕後、テレビでは『YAH YAH YAH』のライブ映像が頻繁に流れ、「薬の影響があるのでは?」と様々な歌詞の検証が行われています。一方ネットの世界に目をやると、ツイッターではチャゲアスの曲をネタにした大喜利が楽しそうに行われています。

 

これらを見るたびに、僕は胸が痛くなります。

というのも、僕にとって人生で「初めて好きになったアーティスト」というのがチャゲアスだったからです。

 

僕が彼らを知ったのは自分がポップミュージックを聴き始めた92年。

タイミング的には『no no darin’』がリリースされたくらいの頃で、前回記事で触れたラジオ番組で長期にわたってチャートインしていました。

鍵盤を基調にして始まるイントロ、サビでのコーラスの掛け合い、大サビの盛り上がり。彼らがこの曲に仕掛けた音楽的な工夫に僕はすっかり夢中になりました。というか、「細かいことはわからないけどこの曲は他と何か違う!」と感じたのです。

そこから彼らの曲を遡り(YouTubeはないのでレンタル屋に行ってベスト盤を借りたりしました)、初期のフォークっぽい曲を「演歌みたいだな」と思ったり、『WALK』『LOVE SONG』といった名曲にも出会いました。チャゲアスをフィーチャーした音楽特番(当時はそういうものがたまにありました)も欠かさずビデオに録画していた記憶があります。こうやって一つのアーティストを掘り下げるというのも初めての体験でした。

 

CHAGE and ASKAという人たちは今でこそ「メガヒット時代の申し子」みたいな位置づけが固まっていますが(そしてもちろんそういった側面もあったと思いますが)、僕が当時から彼らにぐっときていたのは「洋楽の香りのする」「先進的」といった雰囲気でした。

 

先ほどの『no no darin’』のイントロで醸し出されるおしゃれな空気感。

93年リリースの『RED HILL』収録の『今夜ちょっとさ』でのレゲエアプローチ(この曲大好きでした)。

14カラット・ソウルのコーラスをフィーチャーした『Sons and Daughters~それより僕が伝えたいのは』。

 

これらのアーバンな音への接近は、96年リリースのトリビュートアルバム『one voice』にてマキシ・プリーストチャカ・カーンといったアーティストがチャゲアスの曲をカバーするというグローバルな形で結実します(このアルバムのリリース前にはアジア出身者として初めてMTV Unpluggedにも出演しました)。

 

 

また『On Your Mark』でのジブリアニメとのコラボ、ハリウッド映画「ストリートファイター」への『Something There』の提供など、別領域のエンタメとの接触も彼らの「攻めている感じ」を強化していました。

 

音楽的にもビジネス的にも新たなトライをしながら、セールスもついてくる。今考えると当時のチャゲアスは「無敵」だったんだなと思います。

 

チャゲアスが活動を一区切りしたのは96年。これ以降、99年までCDのリリースはありません。

そして、その間に日本の音楽シーンは一変してしまいました。

 

94年ごろに頭角を現したミスチルモンスター化し、時を同じくしてスピッツも「出せばヒット」というゾーンに突入(ついでにミスチルスピッツのフォロワー的なバンドも雨後のたけのこ状態となり)、それに加えてジュディマリイエモン、さらにはGLAYルナシーラルクといったスタジアム級のバンドも次々に現れました。

そして、小室哲哉帝国の凋落、UAから連なる女性ディーバの定着、奥田民生ソロやウルフルズからグレイプバイントライセラトップスといった骨太な日本のロックの浸透、渋谷系以降の「ハイセンスなポップス」の流れ、いろいろなものが合流したところに「1998年」というビッグバンが起こるわけです。

 

チャゲアスがシーンに復帰した頃には、「ヒットチャート」にも「洋楽風のセンスの良い領域」にも空いているポジションは全くありませんでした。僕自身、96年まではちゃんと追っていたチャゲアスに、活動再開以降は見向きもしませんでした。はっきり言って「夢中になるものが多すぎて、もう間に合ってます」という状態になっていたのです。

 

僕にとってのチャゲアスは、「音楽への最初の目覚め」において重要な役割を果たした人たちで、「音楽への本格的な目覚め」と同時に意識の外に追いやってしまった人たちでした。99年以降の曲はタイトルを見てもメロディや歌詞がほとんど思い浮かびません。そんな背景があるので、真実はまだ分からないものの「ヒット曲が出なくなり、さらには2000年の韓国公演が失敗して事務所が倒産し、精神的にきつくなって・・・」という話を聞くと本当にいたたまれない気持ちになります。

 

20年前に好きだった人がこういう形で逮捕されてしまうのはなかなか応えますが、こういうきっかけで久しぶりに聴く彼らの曲が相変わらず輝いているのは何とも言えず複雑です。個人的には、『SAY YES』をもじってブラックユーモアを発するのではなくて、「こんなにいい曲があったのか!」という形で今回の件には接していきたいなと思います。

 

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次回は前回予告通り、初めて買ったCDについての話に入ります。

 

【今日の一曲】

『晴天を誉めるなら夕暮れを待て』KAN×ASKA

 

951月リリースのASKAのソロ曲。KAN2010年のツアーにゲストで出演し、90年代の怪物2人によるセッションが行われました。エネルギーのぶつかり合い、最高にかっこいいです。