レジーのJ-POPクロニクル

92年から始まったリスナー人生、超個人的体験を振り返りながら「日本の音楽シーン」の空気感を表現できれば思っています 

10歳の少年がポップミュージックに興味を持ち始めたきっかけ

本編一回目の記事ということで、ブログの趣旨に合わせてまずは自分のJ-POPとの出会いについて触れたいと思います。

 

僕がいわゆる大衆音楽と接し始めたのは小学5年生、92年の夏ごろからです。それまではあまりそういう文化には興味がなく、バラエティ番組、たとえば「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」に出てきた曲(『愛は勝つ』とか)を知っている程度でした。CDを自分で買ったことなんてもちろんありませんでした。

 

当時の自分の状況はというと、4年生から始めた受験勉強が徐々に本格化し、週3回の地元の塾通い+日曜日の大手進学塾でのテストが生活の中心になっていったタイミングでした。日曜日のテストのために地元のサッカークラブも辞めてしまい、学校で心無い一部の友人に「ガリ勉」などと揶揄され始めたのもこの頃です。そういうのは取り合っても仕方ないなと思いつつ、それなりに傷ついたものでした。

 

そんな折、通っていた学校の5年生の恒例行事として23日の林間学校が迫ってきました。それに向けて移動のバスで流す音楽のテープを作ろうという話になり、そのテープに何を入れるかが学級会の議題となりました。

 

言ってみれば「選曲会議」です。今の自分であれば、張り切りそう、というよりも「最近の曲で適当に作ってくるからどうしても入れたいやつだけ教えて!」くらい言いそうなものですが、当時の僕には何の関心もありませんでした。何と言っても曲そのものを全然知らないわけで、「そんなにみんな興味あるのかな?」なんて思いながらぼんやりとしていました。

 

その直後、自分の前で展開されたのは目を疑いたくなるような光景でした。

 

小泉今日子の『あなたに会えてよかった』がいいと思います」

「それCD持ってるので持ってきます」

チャゲ&飛鳥の『僕はこの瞳で嘘をつく』をいれたい」

「確かお姉ちゃんが持ってた気が・・・」

「だったら『SAY YES』も!」

 

衝撃でした。

中学受験のために学校の教科書よりもはるかに難しいことを勉強している自分にとって、教室の中で起こることの大体は予想できるものだと思い上がっていました。それなのに、今目の前に広がっているのは自分にとっては全く理解のできない、でもクラスメイトの多くは日常的に楽しんでいる世界でした。

 

ちょっとしたショックのようなものを感じつつ、積極的に手をあげて発言する普段の授業とは全く違う態度で静かにその様子を眺めていました。それと同時にある考えが頭をもたげました。

 

「こういう会話に普通に入っていければ、勉強たくさんしててもガリ勉って言われないんじゃないか?」

 

というわけで、僕がポップミュージックというものに関心を持ち始めたきっかけは、「クラスの中で疎外感を感じないため」もっと言えば「“受験生”といういじめられやすい要素を持っている自分がいじめられないため」の手段としてでした。テレビの中のスターに憧れたわけでも、家にあったレコードをたまたま聴いて衝撃を受けたわけでもありません。

 

当時はまだ音楽が娯楽の王様だった時代で、92年にはミリオンセラーがシングルで10作品、アルバムで12作品生まれています。色気づき始める小学校高学年の子どもにとって、「音楽」「CD」といった世界は「大人」へのとっかかりとして最適でした。勉強ばかりしていてそういう文化に接するのが周りより少し遅くなりましたが、自分もそこに参入していこうという気持ちになったあの学級会のことは今でもたまに思い出します。

 

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次回は音楽について知りたいレジー少年がどういうプロセスでその目的を完遂しようとしたか、という話ができればと思います。

 

【今日の1曲】

『あなたに会えて良かった』小泉今日子

91年リリース。これを好きっていう子が多かった記憶がある。

小林武史の仕事との初めての出会い。